1試合100得点!?
約60年前のNBAで
最強と言われた男

ウィルト・チェンバレンという選手をご存じでしょうか。

1960年代、NBAで数々の記録を残し、現在でも

「過去最強のセンター」

と称される伝説の選手です。

今回は、チェンバレンという選手の紹介と、彼が残した大記録について書いていきます。

NBAが好きな方にとっては気になる内容かと思いますので、是非最後までお読みください。

 

NBA1年目から五冠達成

当時身長216cm,体重125kgという破格のフィジカルと、4Qフルで走り続ける無尽蔵のスタミナを兼ね備えていたチェンバレンは、1年目から得点、リバウンド等で圧倒的存在感を放ちました。

1年目の1959-60シーズン、チェンバレンは得点王、リバウンド王、新人王、オールスターMVP、シーズンMVPの五冠を達成し、全米を震わせました。

なお、NBA1年目でシーズンMVPを獲得した選手は、チェンバレン以外では歴代でウェス・アンセルドだけです。

1シーズン通算4000得点、2000リバウンド

3年目を迎えたチェンバレンは、驚異的な記録を次々と樹立します。

そのうちの1つが、1シーズン通算4029得点、2052リバウンドです。

平均で表すと、1シーズン50.4得点、25.7リバウンドという、現代では有り得ない数字を残しました。

通算4000得点超え、平均50得点超えという記録は未だ破られていません。

また、フィールドゴールは試投数3159本、成功数1597本と、FG%でも50%超えという偉業を遂げています。

シュートを撃つ回数はもちろん、確率も5割以上決められては、手の打ちようがありません。

1試合100得点

チェンバレンといえば、1試合100得点を挙げた歴代ただ1人の選手です。

1962年の3月2日、対ニックス戦で1人で100得点を挙げました。

第3Qが終わった時点ですでに69得点を重ねており、チェンバレンが自身の記録を塗り替えるのは確実でした。最終スコアは169-147という、両チーム合わせて316点の点取り合戦となりました。

なお、チェンバレンはその3カ月前の試合で、1試合78得点を挙げています。

この記録を破ったのは、2006年にコービー・ブライアントが樹立した81得点のみです。

セルティックスに優勝を阻まれていた

個人では圧倒的成績を残したチェンバレンですが、チャンピオンリングを手にしたのは2回だけです。

当時はボストン・セルティックスの黄金時代であり、毎年チェンバレンのいるチームの行く手を阻んでいました。

NBA8年目、ようやくセルティックスを下してチャンピオンに輝きましたが、次シーズンではまたもセルティックスに敗れ、優勝を逃しています。

当時は周囲からも「1試合50得点を挙げながら、チームを勝利に導くことはできない」と非難の声も高まっていたようです。

まとめ

今回は、ウィルト・チェンバレンという選手について書かせていただきました。

チェンバレンが数々の偉業を成し遂げたこと、得点力とチームを勝たせる力は別物であることが理解していただけたと思います。

チームスポーツにおいて個々の能力は欠かせませんが、チームを勝たせることができるかはまた別の問題なのです。

是非この機会に、「チームを勝たせるには何が必要か」を考えてみてください。

B the B公式プロコーチ。 中学時代からバスケットボールに打ち込み、引退後コーチを志し、中京大学のスポーツ科学部に進学。 大学でコーチ・トレーナーについて学ぶ。 大学在学中からコーチ活動を開始。 卒業後、スポーツ科学、心理学の知識を活かし、プロバスケットボールコーチとしてスクールやマンツーマンレッスンを行う。

B the B公式プロコーチ。 中学時代からバスケットボールに打ち込み、引退後コーチを志し、中京大学のスポーツ科学部に進学。 大学でコーチ・トレーナーについて学ぶ。 大学在学中からコーチ活動を開始。 卒業後、スポーツ科学、心理学の知識を活かし、プロバスケットボールコーチとしてスクールやマンツーマンレッスンを行う。

紹介した一部の声以外にも沢山の選手が上達を実感し、
今も最高の自分に近づいています。 

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あなたも、B the Bで最高の自分に!